ゲーム以外の雑記(井上明人)

最近は、ほとんどキーボードの話をしています。

こみPo!触ってみて思ったこと

こみPoそのものについて

  • 老人と子供のキャラクタがいない。女子高生のバリエーションだけは造りやすい…
  • 口元の部分の描写が、正直ちょっと微妙…
  • ギャグマンガ以外は、やっぱこれはむずい。
  • 服装とかのパーツがやっぱまだ少ない…。

その他、雑感:プロの漫画家はやっぱり本当にすごいな……としみじみと実感

じぶんの下手さ加減を顧みつつおもったことなど。

  • 読み手が読むスピードを調整する方法が極めて難しいと思った。こみPo!使うにしても、かなりハードルが高い…
    • なんか、つくってみたものの、なんだか、ぜんぜんテンポ制御に成功している気がしない…。しかし、作っているうちに作っている当人はテンポがわからなくなってくる…。
    • 素人考えだと、コマの大きさがスピード調整上の一番のキモなのかと思っていたが、明らかにそれだけではなかった。
    • (1)キャラの顔の大きさのズーム率 (2)吹き出しの文字の大きさ (3)説明文/吹き出しの比率
    • など、様々あるが、思った以上に大きな役割を果たしているのが、「キャラの顔のズーム率」。コマが小さくても、顔のズーム率がでかいと、コマの役割が全く変わるというのが、とても面白かった。
      • *『バクマン』の単行本で、大場つぐみのネームがかなり引いた視点から描いているのに対して、小畑健のネームはかなり顔のアップがばんばん作られているけれども、あれは、映画風の絵づくりやら強弱やらをつけているだけでなくて、要するに読み手の時間制御もやってるんだな、ということをしみじみと実感。
  • コマ間の意味の接続技法はやばすぎ。特殊な役割をもったコマなどを造るのは高等技能すぎてすごい。
    • 「ビデオの中の映像」や「絵本の中の絵」というような、劇中劇的な役割をもった、コマの位置づけとかは、激ムズだと思った。
    • 浦沢直樹とか、コマの接続をつくっていく能力とか、確かに神クオリティだということが、非常によくわかった。たとえば、コマがビデオの中の映像に変わる瞬間に、インターレースの縞々を入れるようなことをやる…というようなベタな方法ではなくて、1.コマの形の連続性や2.絵の不自然な傾きの連続性 3.同一背景の連続…といった、非常に細かいテクニックの集積でそういったコマの役割を造っていて、あほみたいな高等技能を使ってるんだな、この人達は…と感動すた。まあ、こみPo!レベルの漫画作話だと、まったく関係のない次元の話だけれど。
    • 大胆にカットを変更させながら、話を展開させるのとか、黒田硫黄とか、松本大洋とか、はっきり言ってどういうコマの接続の手法を使っているのか、さっぱりよくわからん…。同じ大胆なカットの変更でも、初期のナウシカ漫画版のコマ展開とかは、明らかに漫画の技術としては稚拙ゆえに、カットが変更されていくときに独特の読みにくさが生じているけれど。黒田硫黄とか、松本大洋とかのカットの変え方とかは、明かにミニシアター的な映画の想像力をバックボーンにしながら、カットを大胆に変更させ、そこには全く破綻がない。明らかに一定の方法論を踏まえた上で、コマとコマを接続していっているのだけれども、その方法論が具体的になんなのか、一度よみなおしただけだとさっぱりわからない…。
  • 思った以上にフォントの役割が多彩だということに気づいたのも面白かった。
    • 言葉に意味を付ける機能は、主に吹き出しとの関係性やバリエーションで意味付けがされているのは、いいとして、フォントの役割が思った以上に多彩。
    • 一番わかりやすいのは、フォントのウェイト(太さ)の使い分け。主にプレーンテキストで仕事してる人間としては、フォントのウェイトをこれだけ自由にいじってもあまり下品に見えないようなメディアというのは、なんだかうらやましい。
    • また、日本の標準的な漫画だと、肉声が主に明朝体、デジタル音が丸ゴシック/角ゴシック、内語(心理描写)が主にゴシック系…といった使い分けがされているけれども、ポップ体や、勘亭流などを使って強弱や言葉の意味分けに使われている場合がけっこうある。シリアス系の漫画だとそんなにやられていないけれども、『聖おにいさん』とか改めて読むとものすごくフォントを用いた、読みのコントロールがなされていて驚いた
  • ノローグの構築だけでいくとかハードル高い仕事すぎ…
    • 最初、めんどくさいから『ゴー宣』風にページを構成していたら、ぜんぜん読みやすいものにならず。
    • 孤独のグルメ』とかだと、モノローグメインで作品が成立しているけれど、ああいうのは凄すぎる…
    • ボケ→つっこみ を主軸に成立させるのは比較的、言葉のテンポを成立させる難易度は低め。一方で、西原理恵子とか、桜玉吉とか、ああいう人の漫画ってどういう風な順序・テンポで記述していけば成り立つのか、さっぱりわからない…。単に、モノローグ形式のものをつくるだけなら、できるだろうけれども、モノローグでかつ、読みやすいテンポをもった流れつくれる漫画家さんというのはすごい…。
  • 吹き出し一つあたりの台詞量は、驚くほど少ない
    • 漫画って、もうちょっとテキストが多いものだと思っていたけれども、ふだんの文章を書く感覚で、テキストを吹き出しの中に書き始めると、一瞬にして『デスノート』ばりの長ったらしいテキストになる…。(むろん、デスノートは、あの長さの台詞でありながら緊張感を保っているのだけれども、なんとなくだらだらと書いたら、ほんと締まりのないテキストになる)
    • とにかく短い。「Twitterは140文字で短いなぁ」などと思っていたけれど、漫画の台詞一言は、5文字~15文字ぐらいが基本の世界…。こんなに少ない文字数で、話を展開させていたのか…!とまじびびる。そもそも、改行をいれなきゃいけない数も多いし…。
    • 「まず台詞ありきでそこに対応する絵をつける」というよりも、「まず最初に絵ありきで、その絵ごとにキャッチコピー程度の短い言葉を添える」ぐらいの感覚だと思ったほうが、漫画の言葉数というのは調整できるような気がする。(キャッチコピーそのものだと、言葉がぶつ切れになっちゃうけど)
  • とても時間がかかる
    • つくりはじめると、一日があっというまに過ぎる…。
  • 「キャラ立ち」問題は根深そう…
    • 今回つくってみたものは、あんまりキャラをまじめに立ててないけれども、比較的意味の弱いコマを数ページ続けていくような部分とかは、実はキャラ立ちだとか、あるいは大筋のストーリーを前提にしていないと、けっこうむずかしいのかもしれない。「日常系」と言われていないタイプの漫画ですら、日常部分のコマの運びは、キャラ立ちをベースにして成り立っているんじゃなかろうか…。
    • キャラごとの情念の部分だとかをカットしてしまうと、描けなくなるものはかなり多くなるのだな…と強く実感。もうちょっと、真面目につくるなら、キャラ立ちしたものをつくらないといけないよな、などと反省した…けれど、次回があるのかどうかわからんが…。
  • 「一枚絵」の構図を、漫画の構図の範囲内で構築する手法も、むずい…
    • 一枚絵の場合、時間の表現は、前後のコマの文脈というのをある程度はなれたところで、絵の構図やらなんやらが構成されている印象があるのだけれども、漫画の構図づくりというのは、一コマ一コマが前後のコマとの関係性の中で決まってくる。…ので、一枚絵のような切り離されて、独立した時間性をもった絵(だけれども、その一枚単体で非常に緊張感があるような絵)なんかとは、関係性を調整するのがむずい。これは、ゲームとシナリオの関係性を調整することの難易度が高い、という問題に近似している印象。
    • ゲームにおいて、シナリオを導入する最も簡単な手法が、最初(プロローグ)と、最後(エピローグ)だけを入れ込む方法であるのと同様っぽい。すなわち、漫画の時間性の中に、一枚絵を導入する最も簡単な手法は、話のはじまりと、話のおわりの部分――すなわち前後の時間文脈からある程度まで独立することを許されるような部分――に入れ込むのは、けっこうラク。びしっと決めうちの構図をもってきてそこを起点にするなり、そこを終点にできれば、一枚絵というのはやりやすい。あとは、話のクライマックスの部分でも、一度時間を止めることができる。これも、ゲームと近い相似的な構造をもっているような気がする。
    • デスノートあたりの、小畑健のコマ割りなんかは、かなり明確に話のクライマックスと終わりの部分に「止まった時間」をもつような印象的なコマをもってきているような気がする。
    • 一方で、バガボンドなんかの絵の作り方と、時間の作り方は、一枚絵として成立するような絵が異常に多い。武蔵の内語シーンが多いというのもあるけど、短い勝負の時間の「時を止める」漫画なので、ああいう絵作りのほうがいい、ということなのかしら。時が流れる漫画=スラムダンクの場合は、一枚絵をもってくるタイミングはデスノートと同様で、クライマックスと、話の終わりに集中している気がするけれど。