ゲーム以外の雑記(井上明人)

最近は、ほとんどキーボードの話をしています。

「要約」を書くことがなぜ重要か

学生から、「なぜ、要約などを書かせるのか。もっと創造的なことを書きたい」という声があったので、なぜ、要約を書くことが重要なのかを、簡単に書いておく。

 

1.「読んだ」ことの水準を測るため、テストとしての価値があるから

 学者の書いた本の場合は、良い本であれば、概ね論理構造の要約ということができるようになっている。そういった本は、要約を書いてもらうことで、読者が「きちんと読んだ」と言えるかどうかが、かなりの程度までわかる。たとえば、 amazonレビューで「自分がきちんと読み込んだ人気のある本」についてのレビューを見てみてほしい。そこには、「この人、しっかりとこの本読んだのかな?」と思うような、難癖のようなレビューがないだろうか?

  難癖のようなレビューというのは「だいたいこういう本である」というタイプの把握(先入観)で、本に対してケチをつけていたりすることがほとんどである。それは、本を読んだのではなく、自分のなかにある決めつけに基づいて、なんやかんや言っているにすぎない。レポートでも、実際そういう水準のものは少なくない。そういうレポートは、書いてもらっても、正直あまり読む価値も、書く価値もない。当然、レポートとしての評価も低い。

 

2.論理的な読解のトレーニングとしての学生本人にとっての価値があるから

 よって、本の要約において、「だいたいの把握」はしばしば偏見まみれになるので、そういうタイプの要約は不要である。

 そういった偏見まみれの要約ではなく、最小限の論理構造を把握してもらうことが重要である。主張Aと、主張Bがどういった論理タ接続されて、主張Cが出てくるのか、といった「主張の手続き」を整理して把握するためのトレーニングを行ってもらいたい。要約をつくるという作業はその点で重要である。

 きちんと取り組もうと思うと、よい要約を作るというのは、難しい作業であることに気づくだろう。著者の主張がきちんと飲み込めないまま「なんとなく字面を最後まで追った」ような読み方では、まともな要約はつくれない。多くの場合、まず本をざっと読んだ上で、本の論理構造を整理するために、もう一度読み込む必要に迫られるだろう。

 

 以上「きちんとした要約を書く」ことは、非創造的な行為なのではなく、創造的な行為をするための前提確認として重要だということで、理解してほしい。

 

余談:

 学会の査読などでも、査読者がいきなり査読を書くのではなく、「この論文はどういう論文か」という要約を書くことをフォーマットとして、要求しているものは多い。よいレビューを書くためにきちんとした要約を書く作業が重要だということは、多くの研究者が経験的に積み重ねてきた知見だと言ってもいいだろう。