ゲーム以外の雑記(井上明人)

最近は、ほとんどキーボードの話をしています。

学生が「教授」と言ってくるのをどこまで修正すべきか

 特にオチのない話。

 私は、「教授」職にはないのだけれども、学生からのメールとかは、けっこうな確率で、「井上教授」宛のメールが届く。

 これ、修正したほうがいいとは思うだが、今週だけで、5回ぐらい別々の学生からそういうメールが届いていて、これを修正するのは、無限ポップするスライムとかに対応するような、めんどくささがある。

 多くの学生にとって大学の先生に、「教授」と書くのは、「先生」を丁寧に言っているぐらいの気分だと思うのだが、そういうメールをうけとっても、こちらとしては平社員なのに、「よっ、社長!」「シャチャーさん!」みたいなタイプの「社長」の意図的な誤用に近い印象をうける。「よっ、日本一!」とか「大統領!」とか、まあ、そんなのとだいたい似た何かだ。

 もっとも、学生側もメールを書く相手の先生が、准教授か、助教か、講師なのかとかいちいち気にするのも面倒だろうというのはわかる。なんで、まあ、統一した呼称をつかいたいのはわかる。それなら、単に「先生」と呼んでくれればいいのだが*1、なぜか、「教授」呼びをする文化が浸透してしまっている。

 まさか、学生が「教授」呼びするのをめんどくさいから修正しなかったからといって、経歴詐称に問われるなどということは無いとは思うし、なんだか、ちょっとなあ……という感じの文化なのは間違いない。

 こちらの選択肢としては、下記のようなグラデーションになるだろう。

 

A.(修正過激派)毎回、修正する。何だったら、学生を叱る

B.よく話す学生にだけにでも修正を求める

C.印刷物などで、「教授」呼びされるのだけは防ぐ

D.(完全無修正派)何をしようと無駄なので、完全スルー

 

 だいたいの先生はB,Cのあたりだろうと思う。私も、まあ、B、C以上のことはしない。たまにA(修正過激派)の先生もいるのかもしれないが、直接見たことはない。

 あとの行動としては、

 

E.学生に「教授」呼びをしないよう求める運動をはじめる

 

 などの選択肢もあるのかもしれない。もしかしたら、もっと過激派の人は、「学生に<教授>と呼ばれて修正しない教員は、全員、学歴詐称と同じです!」ぐらいいう人ももしかしたら、存在しうる可能なものかもしれないが、これも、観測したことはない。

 

 まあ、さほど良くないことではあるが、正直、そこまで大きな社会的問題でもなく、若干イラっとするぐらいだよな、というぐらいのことは、世の中に結構おおい。これもまあ、そういう話に違いない。

 また、「まあ、良くはないけど、そんなに怒るほどの話かな」ぐらいのことで、激怒している人と言う人というのもいて、それって何なのかな、などとも思う。

 まあ、プロレスを楽しんでいるのなら、やってくれという感じなのだけれども、なんだか、このぐらいの話というのは、そんなに激しく労力をかけても、別に何が社会的な意義があるのかよくわからん話でもある。このことに労力をかけるのなら、もう少し、社会的に意義があるなり、多くの人が楽しみにするなりの活動はあるんじゃないかな、という気がする。

 

 怒ることはできる。

 怒ってる側が正当性を主張することもできる。

 でも、なんだか、こう、正直、けっこうどうでもいい。

 正直、印刷されたり、さすがに経歴詐称になっちゃいそうな間違いをされない限りは、かなりどうでもいいことなのだ。

 「いやいや、そういうところから、学生の気を引き締めていかないと」みたいなことを言う人もいるのかもしれない。しかし、私は、学生に、そこに使う気力があるのなら、面白い文献の1ページでも読みすすめてもらったほうが、よほど良いと思う。

 今風にいえば、正直、学生にマウントをとるネタを探しているだけなんじゃないかなこの人、と思ってしまうフシすらある。

 まあ、学生にマウントをとることが重要になってしまうような、不毛なコミュニケーションの力場が発生してしまっている場所もあるだろう。それは否定しない。

 しかし、まあ、一昔前だと「三点リーダーを<…>ではなく<...>で打ってるやつは素人」みたいなことを指摘する人を頻繁に見かけたが、まあ、ああいう気分に近い。まあ、書くことの素人なのかもしれないし、理想的ではないんだろうが、正直、それがどうしたという話だ。ネット上には、書くことのプロじゃない人がいっぱいいるのだ。

 大学にも、大学業界というものに、まったく興味のない大学生というのは、沢山いて、まあ、それは仕方がないとも言える。

 自分たちにとってそれなりに重要なことに関心を払わない人が周囲に沢山いる、というのは、それ自体はとても当たり前のことでもある。大学生は、一応、大学教員のことを敬うということになっているので、大学教員は、学生を叱ることができる。だけれども、別に、まあ、正直、大学というのは、教員と学生の関係生は、フラットであるほうがいい。アジア的、儒教道徳的な長幼の序を重んじる世界観から、大学というのは自由であったほうがよい、と私は思っている。

 なんでまあ、大学生というのを叱りつけるというのは、最低限であっていいと私は思う。まあ、控えめな感じで、「うん、まあ、俺は教授ではないんだけどね」と、毎回、釘を刺すぐらいはしてもいいかもしれないけれども。

 ああ、でも、毎回、釘を刺すのも、めんどいなあ、というだけの話かもしれん。

 

 特にオチはありません。

 

*1:慶應義塾は別として